もはやネット上に匿名性は無い。
Twitter上で侮辱されたとして
とくに侮辱的だったツイート主を異例の提訴
ネット上で気軽に人を貶め苦しめて
人を呪わば穴2つ…いっぺん死んでみる?
さて、筆者はこの事件はまったく知りもしなかったけど、少し前に自殺したテラスハウスの件もあり、ネチケット(言葉が古いか?)がまた見直される時期が来ているのかもしれない。
人を侮辱したりして良いわけではないが、ネットは匿名性が高く自由に発言・表現できるのも魅力的な部分であることも事実なわけだが、こうまであっさりとネット上の個人がリアルで特定されている現状にすこし別の危機感も感じる。
確かに、ネット上においても人を侮辱したり差別したりしなければ良いと言ってしまえばそれまでだがが、侮辱や差別的意見も「ひとつの意思表示」であると考える。
すこし突飛な例えかも知れないが、同性愛についての差別を例にあげてみる。
筆者はホモなどの同性愛者やオカマなどに少し嫌悪感を抱く、しかしこの発言をすると「差別的だ」とされるだろう。
ではこの意見が差別だとして考え方を改めなくてはいけないとしたら、筆者が「不快だと思う事」への自由はどこにあるのだろうか?
筆者も居酒屋という夜の商売で個人経営なので、下に見られたり馬鹿にされたり「差別的」な態度や意見を頂くことがあるが、それはある意味正しく・ある意味間違っている。
シュレディンガー的な話ではなく、両方の側面を持ち合わせているということだ。
批判されていい気分になる人は居ないが、批判的な意見こそ真摯に受け止めるべきだと思っている、あまりに考えなしの発言や考え方は例外だが。
例えば「居酒屋は子供を連れて行くのには不健全な場所だ」という意見をよく見かけるが、これも「子供を連れて行っても大丈夫な程健全と思われる居酒屋を作るにはどうしたらいいのか」とすることで、ある意味ビジネスチャンスが広がったとすら感じる。
ストレス発散替わりに他者を侮辱・傷つけたりする行為は褒められた行為ではないが、批判や差別意見から考え方や行動が進歩する可能性があるのも事実なのだ。
そういった意見を匿名性の高いネットで発言したり表現できる自由を奪われたのであっては、どこかの国のネット規制となんら変わらない極端な支配となってしまう。
批判や中傷するのにも匙加減が難しい時代に突入してしまったのかも知れない。