ひろし店長のススメ

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生活保護の人間を働かせるには

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生活保護とは

最低限人間らしい生活を送るために

やむを得ない事情により働けない、稼げない人に支給される保護費

ざっくり言ってしまえばこんなところだ。

 

色々な事情があって生活保護を受けている人は様々いるだろう

そういった「やむを得ない事情」になっている人たちを助けるのは必要な事だ

 

しかし、現実はそう綺麗な状態では無いことは読者さんもお気づきだろう

本当は働けるのにアレコレと理由を付けては「働かない」人が多いことに

生活保護を受けているのにパチンコや飲み屋で遊ぶ人も居る

人間には娯楽が必要なので遊ぶなとは言わないが

明らかに度が過ぎている人が目につく

 

ほぼ自己申告性の病気となっている「鬱病」などは

本当に病気かどうかわからない、うつ病を攻める訳ではないが

「働けない事情」の隠れ蓑にされているのも事実だ

 

また生活保護のシステム自体にも問題が多い

特に問題となるのは足りない分を支給する点だ

自治体によって支給額に差はあるがおおよそ15万前後なのだが

労働賃金や年金などの収入との差額になる所が問題なのだ

 

つまり8万円の労働賃金があり保護費で7万円貰っているとする合計で15万だ

しかし労働収入を増やし1万円収入を増やすと保護費は差額の6万円しか貰えない

9万円の労働賃金と保護費6万円で合計15万円である

仮に時給千円で一万円の収入を増やそうと思うと10時間多く働く事になるが

最終的な収入は15万円のまま変わらない

働いても働かなくても収入は同じなのだ、筆者なら働かない事を選択する

 

言葉を選ばずに言えば、この生活保護制度はクソである

働かないほうが得なシステムであり、働かない事を助長する制度なのだ

年金を一生懸命払ってその受給額では足りず差額を生活保護として受ける人と

年金を一切払わずすべて生活保護で賄う人が同じ生活水準という

不公平極まりない制度なのだ

 

生活保護は税金や医療費などが基本的に免除されるのだが

何かを購入する時に消費税は支払うことになる

自治体が保護費を払い、それを消費すると国が税収(消費税)を得る

これも訳がわからないが少し話が脱線しすぎかも知れないので話を戻す事にする

 

ではどうしたら働ける生活保護の人間を働く気にさせるか

生活保護も年金もやめてしまってすべての国民の最低所得を保障すればいいのだ

 

他の記事でも少し触れたワードだが所謂ベーシックインカム制度の事だ

BIと略されるが、日本では生活保護などの限定的な条件のものもBIと表現されることがあるのだが、ここではユニバーサル版ベーシックインカム(UBI)の事と補足しておく

 

生活保護や年金、子育て給付金などの個別対策を一元化し

すべての国民に他所得や世帯構成などに影響されず最低限の所得を保障する

簡単に言えばこんな制度である

 

働かなくても働けなくても最低限の所得を国民全体保障するのだ

生活保護と違いこの制度であれば、収入を増やしても補償額が減ることは無く

働いて収入を増やせばそれだけ生活を豊かにすることが出来る

 

また生活保護者以外も最低限の生活が保障されるので、

生活のために労働する時間が減り(あるいは無くなり)

自分のやりたいことや挑戦したい趣味や仕事に時間を当てる事が出来る

こうした事で隠れていたアイデアや才能が世の中にドンドン出てくるかも知れない

技術革新も加速していくことが期待できる

 

現在日本の大多数の低所得者は生活費や税金、年金を払うことに追われ

そのためだけに働かざるを得ない状況の人が多い、筆者もそのひとりである

この状況は新しいものを生み出したりクリエイティブな活動に時間を当てることがひどく難しいのだ

 

筆者は病気のおかげ(?)で休業を強いられていたが

休業期間動画にして12本、ブログを約20記事作る事ができた

作品としてみた時にそれほどクオリティの高いものではないかも知れないが

生活のために仕事に追われていなければ凡人の自分でもこれだけクリエイティブな活動に時間を使うことが出来るのかと改めて実感したばかりだ

 

ベーシックインカムが導入されれば独創的な活動に時間を使う人が増え

面白い発想や発見が生まれてくるのではないかと思っている

私のような怠け者が作品創りに勤しんだのだ、才気ある人ならもっと良い物を作り上げられたであろう

 

BIを導入するには今までの社会保障をすべて撤廃することが前提となるので、今の日本ではBIを実現させるのは難しいとは思う

だがこういった考え方や制度案から見えてくる生き方もあるのではないだろうか