ひろし店長のススメ

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変人であることを恐れるな

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「普通、皆こうしている」

「あの人は変わっている(笑)」

「結婚するのが当たり前」

 

こうした所謂世の中の”常識”や”普通”という固定概念的な要素は、生活していると日常的に「普通か普通じゃないか」と比較される。

一般的な常識というモノは知っておく必要があるが、絶対にそうしなければならないという事は無いのも事実なのだが、「出る杭は打たれる」の要領で枠からはみ出た人間は”変人”として世間の”普通人”から攻撃の対象とされてしまう事が多々ある。

 

しかし、そんな変人扱いを恐れる必要などあるのだろうか?

いや全く無い、むしろ変人である自分を誇るべきだ。

 

 

特化した人は変人である

変人というと、電車オタク・アニメオタク・パソコンオタクなど、イメージとして思い浮かぶのはオタクが多いかも知れない。

彼らは興味のある事に対して熱心に取り込む才能があるので、一部の知識や技術に対して特化した能力を得る事が多い。

世間からは”普通とは違う、変人”と認識されやすく、その感性の違いもありコミュ障やアスペなどと言われる特徴もあるだろう。

 

しかしこれはオタクに限った話ではない。

例えば昨今テレビで引っ張りだこの”東大生”なども変人が多いことで有名だ。

彼らもオタク同様に、勉強・暗記などといった分野に特化した人達であり、彼らもまたコミュ障やアスペな傾向が多くあるという。

 

変人と言うと悪いことの様に受け取られるが、東大生≒変人の方程式が成立するのであれば変人≒優秀というのも成立するのではないだろうか?

要するに、人と違う事や変人であることは”良い事”でもあるという事だ。

 

コミュ障や孤独は悪くない

変人はその性質からコミュ障であったり、友達が少なく孤独である事が多い。

これは単純に、数だけが多い”普通人”とは違い、共感出来る人が少ない事が原因のひとつとして挙げられる。

 

また変人、何かに夢中になり特化している人間にとっては”上辺だけの人間関係”は時間の無駄であり、不要だと考える人も少なくない。

本人たちは勉強や趣味に没頭したいのに、カラオケやコンビニでたむろし喋ることに意義を感じられないのだ。

 

交流よりも自身の興味事を優先していった結果として、コミュ障と呼ばれたり友達が少なくなってしまう事は自然な流れである。

しかし本人たちにとって有意義でない人間関係は逆に無いほうが良く、孤独を好意的に受け止めている人も多く、筆者も変人と呼ばれていた部類なのでその例に漏れない。

 

自分が本当に突き詰めたい、やりたい興味事があるのであれば、他人の目や常識、普通などに拘らず、孤独になることを恐れずに突き進めば良いと思う。

 

天才=変人

天才と呼ばれる人は変人だ。

そもそも天才とは”普通の人とは違う人”とも解釈できる。

普通や常識ばかりを気にしている人は、逆立ちしようが天才と呼ばれる人間になることはないのかも知れません。

 

相対性理論アルベルト・アインシュタインは洗濯用石鹸で顔を洗い、雑巾で顔を拭い、灰皿に食事を盛り付けると云う常識外れの行動もあった様です。

 

アップルのスティーブ・ジョブズは、職場での“破天荒”ぶりが有名。部下が持ってきた完成間近の製品を水槽に放り込み、気泡が出るのを指して「この空気の分、もっと薄くしろ」と言い放ったそう。

 

例を挙げだせばキリが無いのだが、天才=変人というのは当てはまっているだろう。

 

自己を決定するのは他人では無い

結局の所、他者の意見・普通や常識にばかり気を取られていては、自分の本当にやりたい事や興味ごとの妨げにしかならないという事なのかも知れない。

 

他人から見た自分と、他者からの評価、どちらも気になる気持ちは分かるが、自分を自分たらしめるモノは自分以外の何物でもないと言うことは紛れもない事実であり、そうあるべきだ。

 

 したくなければ結婚なんてしなくてもいいし、働きたくなければ働かなくても良い。

アイドルが好きなら追いかければ良いし、勉強でもアニメでも電車でもゲームでもパソコンでも、なんであろうが好きな事に没頭するほうが人生楽しく生きていけると思うし、つまらない人生なんて悲劇だ。

 

アインシュタインスティーブ・ジョブズも、学校の成績は悪かったそうだが、結果としてはイノベーションを起こす発見や発表をしている。

所詮学校の評価、言い換えれば他人の評価などその程度のものなのだ。

 

月並みな言葉ではあるが、他人の目など気にせず自分らしく生きようって事だ。

人生楽しんでいこう。