坂上忍「パワハラは暴論」これ正論
フジテレビ社内で坂上忍が、同社スタッフからパワハラを告発する声がフジの上層部にあがり、聞き取り調査も行われたとのこと。
坂上忍はインタビューに対し「今の時代相手がパワハラだと言ったらパワハラだと。僕はそれ、暴論だと思っているんですけどね。」などと答えている。
筆者も以前から疑問に思っていたことだが、セクハラ・パワハラ・コンプライアンスだと、言ったもの勝ち的になりすぎていないかと危惧している。
以前よく問題になった電車での痴漢行為が、実は女性側の言いがかりや間違いだったなんて事があったのだが、あまり「被害者」側に寄り過ぎた判断は間違った解釈や決定を招くのではないだろうか?
そもそもパワハラだと思われないように言動や行動を気をつければ良いだけ、といった意見も見かけるが、例えば会社などで社長や役員などの統括すべき立場の人間が、なよなよして頼りなく、ひたすら丁寧で物腰が柔らかい人物ではリーダーシップを取ることが出来ない場面もあるだろう。
セクハラを恐れるあまり、男が女性に触れる事すらしなくなってしまえば、結婚率や出生率もこのまま下がり続けるだろう。
パワハラもセクハラも、どちらも受け取り手の感性に依存する部分が大きく、またそれはある意味仕方が無いことではあることも承知はしているものの、明確な線引きがなく感情的部分に依存しすぎるのも問題があると考えている。
相手がパワハラだ、セクハラだと言えばそうなってしまう風潮は暴論とする坂上忍の意見はまったく正論なのだ。
しかし、これは逆も同意である事を含む事もまた事実である。
この場合は演者とスタッフだが、会社組織であれば上司と部下、立場が強い方が強くありすぎると本来の「パワハラ問題」というものが浮き出てくる。
最初から考え直して、パワハラの定義から
パワーハラスメントとは、同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内での優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為をいいます。
この適正な範囲というのも曖昧ではあるが、今回坂上のスタッフへの叱責は業務上必要である範囲だと筆者は判断するが、皆さんはどうだろうか?
違うと思う人がいるのであれば、そこがハラスメント論争の問題点である。
現在はこの定義の中から「仕事で精神的・身体的苦痛を味わう」という部分だけを拡大解釈し、都合よく受け取り、すぐに「パワハラだ!セクハラだ!」と騒いでいる人が多くなっている様に見受けられる。
雇われる側である多くの労働者にとって、仕事は基本的に精神的・身体的に苦痛で有ることが多いだろう。
そんな状況で、苦痛だと訴えればまかり通ってしまうのであれば経営者側からするとたまったものではない。
立場が上の者は、下の者に働いて貰っている事に感謝を。
立場が下の者は、上の者に指導・働かせて貰っている事に感謝を。
お互い感謝の気持が少しでも根っこにあれば、さほど拗れた論争になったりはしないのではないだろうか。